先生と呼ぶこと
最近ふと、"先生"と呼ぶことについて考えた。
初めて先生と呼ばれたのはたぶん学生時代、家庭教師をしてた時。
多分その時も、最初呼ばれて、え?ってなった気がする。
だって何だか自分が人から先生なんて呼ばれる程の人物じゃないよ、って感覚があったから。
学生時代から、時は随分たったけれど、やっぱりその感覚は同じ。
数年前から始めた仕事絡みでまた先生と呼ばれるようになったのだけれど。
長年そんな風に呼ばれることが無かったし、また最初は、え?、だったけど、真摯に相手と向き合って自分が少しでも何か与えられているという感覚を持てるようになってからは違和感は少しずつ無くなってきた。
先生→
"先"に"生きる"
または
"先"に"生"まれた
(私の勝手な解釈)
少し先を進んでいるからこそ、相手がこれから進む道に、少しヒントや知恵を与えられるそれが先生なのかな。
だから逆に、自分が何も与えられないと感じた時に先生と呼ばれるのは違和感が強い。
そう考えると、私自身が普段先生と呼んでいないけれど、実はある意味、"先生"と呼びたくなるような人も周りに居るものだな。
今度そういう人を先生と呼んでみようか。