タロットは友達

Wish to stand by the fragile, at all times.

だんだん気づき始めているのかもしれない

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最近、世の中が動き始めているのを感じます。

特に、女性の動き、というものには注目するべき変化がある気がします。

 

女性は、大雑把に言えば男性が外に出て生きるためのものを獲得し、女性が家を守るという構図ができてからずっと“留まって受け入れるもの”としての資質を育てることを求められてきたと思います。

そのイメージは受動的であり、外側からやってくる何かに“対応する”というエネルギーの拡大を増長するものです。

いつも始まりは周りの誰かや何かであって、その誰かや何かにうまく対応することで人々の円を保つことが使命でありました。

 

そのような社会的使命を持って生まれた女性は成長過程ではやはり対応力、反応力が求められるため、本当に自分がどうしたいか、どう動きたいか、何をしたいか、など自分の中から発するエネルギーのことはかなり無視してきたと言えるかもしれません。

 

でも、今何かその長きにわたる使命から少しずつより戻しが図られているような気がするのです。女性本来の才能を発揮して社会での目的を果たした後、”生きてこなかった残りの半分“を生きたいと思うのは人間が”円“を最終目的として生きているからでしょう。

光と影、光の裏側に確かに存在していた何かを無視していればしているほど、光の頂点を極めたあと強く急激に影を知るのかもしれません。

光と影は、その後立場を逆転するかもしれません。選手交代!みたいに。

そうして最終的に円を描くのが人生だ、と思われるのです。

そんなに急激に光から影にバトンタッチする人ばかりでなく、穏やかに光と影を両方行ったり来たりしながらうまくやっているということもあったのでしょうけれど、やはり社会の中で役割を与えられてきた女性性というものの縛りが、どうしても抑え込む影を作り出してきたと思えるので、今この社会の変化とともに、やっと女性にとっての光と影の在り方も変わってきたのではないかと思えるのです。

 

余談ですが、こういった社会的女性、男性の話に付随して、生物生命としての人間の方向性、つまり生物学的女性、男性、の変化というものも間違いなく起こり始めていると感じています。

 

中性化というキーワードが、水瓶座の象意にぴったりだなと思う今日この頃です。