タロットは友達

Wish to stand by the fragile, at all times.

半径3メートルの世界(蠍と乙女の対照)

先日何かのコラムで目にした、行き詰まったら半径3メートルのことをやれば良い。というような内容。

よく言われる、小さな幸せを感じられるようになることが幸せになる秘訣、みたいなこととも少し似ていると思う。

 

このような話で、思い浮かぶのが乙女と蠍の対照。

木を見て森を見ず、の乙女と森を見て木を見ず、の蠍。

一般的に否定的意味で使われる前者の表現だけど、その善悪については今は全く無視して特性として、乙女は近くを見る、近くを整える、手の届く範囲でやる、という特性を持ち、蠍は、時に何か事が起これば、それが自分の手に負える範囲を超えるものだったとしても身を投げ打ってしまうという特性を持つ、ということが今回言いたいこと。

私の周りには乙女座を持った人がまあまあ居て、彼らを身近に見ると蠍座側としては時々うらやましくもなるというか。

 

乙女座の線引きする力。これは蠍からすると時にずるい、という風に思えてしまう。

どうしてそう思うのかって、それは蠍が誰かに何か起こった時、自分のできる範囲を超えているかもしれないと感じても、そこに突っ込んでいかずにはいられない、それは自分が望んでいるわけでもないけど、なぜかとことん関わらなくてはいけないという、どこかしらからの引力に抗うことができない特性の故だと思う。

蠍だって本当は今はもうここで手を引いて自分の生活に戻れば、これ以上の嵐に巻き込まれることはないと、頭ではわかっている、だからそうやって常識的範囲で行動を制御できる乙女を羨ましくも思ってしまう。

蠍の選択は自分の中からではなく、どこか遠い場所から使命として与えられた選択をさせられているように時に感じる。この蠍の進む道は、だからいつも死や破壊の危険を伴う、そこに入って戦って、そのあと死ぬかもしれないし、破壊が起こるかもしれないけど、でもそこに突っ込むのだ。

 

蠍の自分も、こんな生き方を他の人にしてほしいとは思わない。

 

だからこそ、乙女座の、生きることが大切なこと、そのために自分はこの自分の身近な世界を死守するために、身を引き、自分がこれ以上になると危うくなるという線引きしたルールの中できちんと生きていく、そういう自分で自分を制御できる性質が私には対照的に羨ましくも映る。

 

この2つは相反するようにも見えるのだけれど、この世の中を作るにはたぶんどちらも必要で。私は日々乙女の人たちが身の回りで何かしてくれていることで自分が成り立っていることを実感して感謝しているし、彼らは自分に欠けている、木を見る能力、木を育てる能力について自覚させてくれる。

 

水瓶の時代になって、世の中がこれからもっと大局を見る姿勢に偏っていくかもしれないけど、木が健康でなければ森は育たない、ということを私たちはいつも忘れてはいけないのだと思う。