タロットは友達

Wish to stand by the fragile, at all times.

肉体的ハンデ、精神的ハンデ

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今日ふと考えたこと。

体と同じように心にもハンディキャップというものがあるのではないだろうか。

人間は、これから生きていくことが他の人たちよりずっと難しいものを体に持って生まれてくることがある。

それと同じように、生きていくのが難しい心を持った人もいるんだと思う。


心理占星術を学ぶ中で、困難なアスペクトを成長に必要なものと捉える考え方を知った。


体も心も、生まれてきたとき、全ては優劣も善悪も超越した個々のものであり、そこに評価は存在しないと思う。

けれども、その体や心は、そこから人間社会という枠組みの中で生きて行かなくてはならない。

そうなると、その作られた枠組みに適応しやすい体、心、と、適応しづらい体、心、というものが出てくる。


身体的なハンディキャップは外から見えることが多く、他人にも感知される。

それに対して、心、精神のハンディキャップというものは、なかなか理解されずに個人の中で孤独に抱え込まれていく。


例えば誰かは、本当の孤独に苛まれ、それに耐えられなくなることがある。

けれどそのような孤独というものを知らずに生きる人もたくさんいる。

本当の孤独とは、近くに誰かがいても、いなくても、関係なくあるもの。

それは体験しなければ理解できない種類の痛み、辛さ。


それを持つ人と持たない人が同じルールで動くことを求められ、ハンデ無しで戦うことを要求され、一つの法律で裁かれる。


時に世間は心の弱い者の、その弱さをすら裁くのだ。弱いお前が悪いのだと。


私は公平でありたい。

心のハンデはちゃんと考慮したい。

誰も自分で選んでその心を、その体を持って生まれたのではない。

与えられたものだから。

与えられたものがそれぞれ違うならば、それぞれの生きやすさも違う。

誰かにとっては簡単なことが、ある人にとっては恐ろしく困難だ。

それなのに同じようにできないお前はダメだと裁く世の中は、全く公平さを失っている。


世間全般というものがそういうものならば、私はそこに属さずに生きたいと思う。



タロットカードと使い手と

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タロットは友達、という題名からだいぶかけ離れつつあった今日この頃…


久しぶりにタロットネタを。


タロットカードは、使い手によって若干違う意味で現れる。


例えばこの写真のカード、THE TOWERは、大概正位置では、突発的出来事、ショック、といった衝撃の意味とされている。

最終的にはそのショックを通して、その人の本来の生き方に戻したり、軌道修正させてくれるという意味になるのだけど。


このカード、でも私が出す時は、その衝撃、と言った意味よりも、閉塞、閉じ込められた状況といった意味の方に出ることが多いことに気づいた。


タロットは、展開したカードのストーリーの読み方も人それぞれだし、そもそもひとつのカードの捉え方もそれぞれ少し違う。

それでいいんです、と先生は仰っていた。

ただ自分がどういう時にそのカードを出すか、それを分かっていればいいんです。と。

ただ、何でもあり、にはしてはいけない、自分の中で決まった意味でちゃんと解釈しないといけない。出るたびに違う解釈をしたらブレるから。


最初に基本の意味を捉えてからは使ううちに体感として分かってくることが多い。

そして不思議とデッキによっても結構違う雰囲気だったりする。

だからというか、普段使用するのは私はフルカードはこのデッキ、大アルカナのみはこのデッキ、と決まったものを使っている。


他のカードを使うためには、またそのカードとしばらく付き合ってみないと、どんな性格か分からないから。

考えてみると、私のカードとの付き合いの深さは人付き合いと似てるかも、蠍的…

先生と呼ぶこと

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最近ふと、"先生"と呼ぶことについて考えた。


初めて先生と呼ばれたのはたぶん学生時代、家庭教師をしてた時。

多分その時も、最初呼ばれて、え?ってなった気がする。

だって何だか自分が人から先生なんて呼ばれる程の人物じゃないよ、って感覚があったから。


学生時代から、時は随分たったけれど、やっぱりその感覚は同じ。

数年前から始めた仕事絡みでまた先生と呼ばれるようになったのだけれど。

長年そんな風に呼ばれることが無かったし、また最初は、え?、だったけど、真摯に相手と向き合って自分が少しでも何か与えられているという感覚を持てるようになってからは違和感は少しずつ無くなってきた。


先生→

"先"に"生きる"

または

"先"に"生"まれた

(私の勝手な解釈)


少し先を進んでいるからこそ、相手がこれから進む道に、少しヒントや知恵を与えられるそれが先生なのかな。


だから逆に、自分が何も与えられないと感じた時に先生と呼ばれるのは違和感が強い。


そう考えると、私自身が普段先生と呼んでいないけれど、実はある意味、"先生"と呼びたくなるような人も周りに居るものだな。


今度そういう人を先生と呼んでみようか。



少し寂しいと思うこと

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今日の話は、地星座の無い私の戯言なんでしょうけど。

正直、時々お金が絡むことがしんどくなります。

しんどいと言うよりは寂しいと言うべきか。


物を買う対価として払うお金や、実用的サービスの対価として払ったり貰ったりするお金はそんなに抵抗がないのです。

今の世の中はそれが循環してることで成り立っているわけで…


ですが、人間の内面のやり取りの商売、占いももちろん含まれますが。そういう種類の仕事にもお金が絡まなくちゃいけないということをなんか寂しく感じるのです…

払う側、貰う側どちらにしても…

なんででしょうか、、。


精神世界は物質世界と違って目に見えない。

そしてその世界はまさにspirit。

それをお金という形に変えることなんかほんとはできないんじゃないかと思ってるふしがあるんでしょうね。


でも、精神世界であっても、決して物理的現実と完全に離れて動くことはできない。それが現世というものですね。


宗教ですら、それを広めたり建造物を保つ為にはお金が必要ですもんね。


ただ、とにかく、精神世界が人間にとっていかに大切で根源的なものであるか、一人ひとりの精神は、お金が有る無しに関わらず、大事に扱われるべきものだ、と思うのです。

精神によって人生が損なわれてしまうことがないように…


こんなことを考えながら、真摯な気持ちで占わせて頂きたいなと思う今日この頃。


まさに戯言日記でした。










人を理解するということ

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占星術を学んできて、初めて気づいたこと。それは、辛さの中身はみんな違うんだってこと。


何を1番辛いと思うか、も人によって違うしまた、同じようなことが起こっても、それに対して感じる辛さのレベルも人それぞれ。


ホロスコープを使うことによって、その違いはなんとなく浮かんでくる。


かつては自分の尺度で人を見ていたから、私ならこんな風に辛い、ということが相手にも当てはまると思っていたような気がする。

それなのに、何か温度差がある時、もやもやした気持ちになったものだ。


だけど今は少し分かる。

いろいろな辛さがあるし、その感じ方の深さも違う、人それぞれだということが。


あの人が辛いのはそのせいだったんだ、そういうことがその人にとっては辛かったんだ。私とは違ったんだ。と今気づくこともある。


水の辛さ、火の辛さ、風の辛さ、地の辛さ。

星同士のアスペクトによる葛藤による辛さなど。


みんな同じではないけど似てる傾向の人たちは居て。

辛さこそ、同じように感じられるほど、その相手と共有できるんじゃないだろうか。それが共感。

楽しいことを共有するのは簡単だけど、相手の辛さに心を寄せることは、性質が違えばかなり理性を使って対処することになる。

理性を使わずとも、相手の辛さをそのままに感じられるのが、真の理解だとは思う。


人は理解されたい生き物。

理解し合えることこそが幸せなんじゃないだろうか。







コントロールを手放す

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明日は、夏至新月、日食、の特別な日。


新月までは、欠けていく、手放していくタイミングと言われる。


手放すと言っても何を?


手放してしまったほうがいいのかもしれない、でもやっぱり手放せないかもしれない…

今は結構もやもやしている方も多いのでは?


特に今は、惑星の逆行オンパレードで、昨日から始まった水星の逆行が後押しして、私たちは今過去と強く繋がっている。

過去の思い出、きれいで美しい景色。

思い出はきれいなものだけ残る、と言われるように、過去は美しくよみがえる。


だからこそ、そんな過去を背負った何かを手放すことはとても難しいかもしれない。


そんな時、何を手放せばいいのか。


コントロールを手放せばいい。


手放した方がいいのか、でも手放せないのか、もう分からないし今できないなら、どうにかしようとしてきたコントロール自体を一回手放してみよう。


つまり自分でどうにかしようとする、ことを一回やめてみる。


コントロールを手放すと、不思議と何かが動きだす。


蟹座の月、月はあるがままの情緒、女性性、受け入れるもの。

今そこに身を置いて、ひたすら感じるものそのまま味わってみよう。

間もなく何か動き出す、その前のひとときの静寂を。




傷の効用?

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コロナ騒動が始まって、緊急事態宣言が出されて。

思うように外出できないという、当初の感覚は本当にうんざりするというものだった。


そもそも、あまり長い時間うちの中に居ることが苦痛と思っていたから、これからどうなっていくのだろう、とか悲観的な気持ちばかりが募った。

うちの中に長く居ると、一緒に生活する人たちからの圧力(これは一方的に私が感じてただけ)に、苦しくなって飛び出すように空気抜きをするのが週末の外出だったりした。


それが無くなって、もう抗ってもどうにもならない強制的にうちに居なきゃならない環境に長期間置かれたことで、(土星)、今はかつての家族からの圧力というものをあまり感じないようになってきたことに気づいた。冥王星、私を覆したな。


そして、むしろこのコロナ禍で、家族がぶつかり合うこともギスギスすることもなく、むしろ柔らかになっていったことが私にとってはありがたかったなと今は痛感している。


私以外みんな柔軟宮の太陽を持った人たちで、私はコロナ騒動の間それに助けられたなぁと感じたわけで。月はみんな活動宮。


唯一私の太陽だけが不動だから。だからこんな風に感じたんだな。


で、とにかく、コロナ以前の私の苦しみのもとになっていた存在が、逆に救いになったというまさに大転換。

これが天の作用そのものなんだな。と感じた話。