区別したり差別したり
宗教で占いは禁止されていることがあります。
世界で最もメジャーな宗教ともいえる宗教に関係してはいる私ですが、このことを知った時は少し動揺しました。
そしていろいろ考えていくうちに、そもそも宗教の教え、考え方は果たして万能なのだろうか、と疑問に行きつきました。
例えばある宗教では、その宗教における神様や教祖を信じれば、死後に生まれ変わって天国で暮らせる、とか。
じゃあ他の宗教を信じていた人はそこでは救われないのか?例えどんなに人のために生きた人でも、人のために死んだ人でも?
宗教という括りで区別すること、それ自体にはずっと違和感を感じてきたわけですが、こと信じれば救われる的な教義に関してとても疑問に思うことがあります。
大学生の頃、河合隼雄先生の講義の中で宗教の話になり、どの宗教も山を登っていけば、同じ山頂に辿り着く、みたいなものなんじゃないだろうか、というようなことをちらっとお話しされていたのをよーく覚えてます。
それだ、と思ったのです。
占いはどちらかというと、宗教みたいに人が作ったものではなく、宇宙、生命体、とにかく全体、みたいなものを表すというのが1番の目的であると思います。
星も、カードも、事象を表現してくれる、確かなツールなのです。
そこには、評価というものは存在せず、解釈と伝達があるのみなのではないでしょうか?
それを伝えるのが占い師、あとは受け取った人が自分で評価、利用していくのです。
科学、と並列のようなもの、と私は思います。
こんな風に区別、差別を嫌い、融合、和合を目指してしまうのは、魚座の木星のせいなのでしょうか。