親和性のあるカード
タロットカードを使っているとだんだん感じてきたりします。
なんかこのカードに親和性があるな、と。
親和性があるというのは、好きということだけではなくて。
このカードを見るとは自分を見ているような気がする、という感覚とか。
あとは、なんかこのカード好き、っていうのもあると思います。
最初のうちは特にカードに描かれた人物が自分そのもののように感じられることがあるかもしれません。
そして不思議とそのカードはよく出るのです。
例えば私はタロットを始めた最初の頃、気になっていたのがHERMIT(隠者)とかHIGH PRIESTESS (女教皇)とかソードのQUEENとか。
タロットカードを知っている方ならなんとなくこれらに共通するようなイメージがお分かりかもしれないですが、確かにこれらのカードはよく出てきたのです。
最初は、よく出てくるな、という感覚、そして次第に、なんでこればかり出るの??と少し否定的な感情が出てきました。
私は当初これらのカードに、肯定できていない自分自身の一部を見ていたのです。
静かに孤独に冷静に内面に向き合う自分。そういう自分を肯定的には捉えられていなかった。自分のそういうところが嫌いだったのだということが分かります。
もっと明るく、温かい感情豊かに日々を謳歌するEMPRESS (女帝)に憧れていたこともわかります。(このカードは当時憧れであって、カップのQUEENと共に当時ほぼ出てこなかったカードでした。)
私は孤独でありたくなかったのに、なぜか孤独である、そんな現状を見せつけられた気がしていました。
よく出るカードがあるとともに、全然出ないカードがあることにも気づくかもしれません。
出ないカードはその時の自分から最も遠いカードであるかもしれません。
でも、自分は変わります。それから何年か経って、現実にもあまりにも多くの変容を経た今の私には先に書いたカードはあまり出なくなっています。
逆にEMRESSとか結構出るので、その変化に驚きます。
ソード(思考、切り離し)の要素が多かった展開が今ではペンタクル(現実、積み上げ)の要素が多くなっています。
年齢で行くとEMPRESSからは離れていく年頃か?と思うのですが、内的な状態はあまり現実年齢と関係ないようです。(希望的観測、笑)
こんな風に、自分が分かる、のがタロットカードの醍醐味だと思うのです。
そしてタロットとの付き合いが現実の自分を変えてきた、という感も私の中では否めません。
自分の無意識とつながることによって変容が起こっていく、そういう作用をタロットを使うことによっても体験できるのだと感じます。