タロットは友達

Wish to stand by the fragile, at all times.

22枚で占うか、78枚で占うか

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今日はタロットカードの使い方についてお話ししたいと思います。

 

タロットカードのデッキにはウエイト版、マルセイユ版、トート版、ボイジャータロット、禅タロットなどなど・・・いろいろあるのですが、あくまでこの話は自分の使用する、自分が習ったオーソドックスなウエイト版について、私が教わった使用法をもとにした話です。

 

タロットカード1デッキには、大アルカナ22枚と小アルカナ56枚があります。

大アルカナは象徴の深さが深く広い、どちらかというと具体性より象徴性を伝えるカードです。

そして小アルカナは、より具体性のある絵柄が描かれていて象徴も具体的な出来事に結び付いたものとして解釈しやすいです。

 

私は先生にタロットを教わったのですが、その中でも22枚で充分占いができることを教わりました。先生が大アルカナだけで占う方が深い、と仰っていた意味が今はよくわかります。

習い始めはまずとにかく大アルカナを用いていろいろなスプレッド(並べ方)を展開し、読む練習をしたものです。最初はカードの象徴をつなげて読むことをとても難しいと感じていたのを覚えています。(はっきり言ってめちゃくちゃ頭の体操でした!)

 

その当初は初心でもあったため、大アルカナのみで占うことにそんなに抵抗を感じなかったのですが、最近では22枚のみで占うことはあまり機会がないというのが実際です。

やはり、現場で短時間で、お客様が占いたいことというのは具体性が高いことも多く78枚のフルカードで占う方がはっきりと時間軸で流れが見やすいし、現実の中でどの要素(火、地、風、水)にフォーカスすればよいかが見やすいからです。

また、フルカードで展開した際の大アルカナの出現の多寡で、そのテーマがご本人にとってどれだけ重要なものなのかも測れます。

 

でも、私はタロットを習った当初の感覚で、本当に深い大切なこと、深い部分で人と人との関係性がどういうつながりかなどを見たいとき、また自分の内面を洞察したいとき、22枚だけでの占いを大切に行っています。

22枚で占うときはちゃんと時間を取れる時、ゆっくりと洞察することができる時。

現場ですぐに使い分けできるように私はウエイト版のほぼ同じ柄のカードですが、フルカード用で1デッキ、大アルカナ用で1デッキ、用意しています。

大アルカナしか使っていない方の大きめのカードのデッキはもう側面から見ただけで22枚だけが使い古されて薄汚れ、あとの56枚はピカピカです・・・(写真の通り)

 

おそらく人それぞれ、習ったやり方なり、自分なりのやり方で占っていらっしゃるのだと思います。

私は伝授されたやり方をリスペクトしているし、だからそのやり方で占っています。でもやり方は同じでも、読み方はだいぶ変わったりしてきているかもしれません。

読み方は人それぞれの個性が出ると先生にも言われていました。

「あなたは深読みのタイプね」と言われたのを覚えています。

もともと吉凶占いとしてのタロットよりは心象を見ることができるツールとしてのタロットが楽しくて仕方なかったタイプだからかもしれません。

 

皆それぞれのやり方、読み方、捉え方でタロットを扱っているのだと思います。

その扱い方は自由で、ただタロットの不思議さと、畏敬の念だけは皆さんが持っているものだと思います。そうでなければ占い師になるほどタロットにはまらないですよね 笑。

不思議大好き

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先日の鑑定日、ちょっとした不思議がありました。

まず、お2人続けて同じ誕生日の方がいらっしゃいました。

年は違ったのですが、結構な偶然かなと。

そしてまたそのうちの1人の方がいらっしゃった時間で出したチャート、コンサルテーションチャート的なものですが、これを後で見直していたら、これ、なんか見たことあるなっていうハウス割りで…

自分の出生図にトランジットのチャート重ねた外側の円とめちゃくちゃ似てる。つまり、アセンダントが私の出生図のアセンダントとほぼ同じだったんですね。

またその日はいらっしゃった方のご相談内容がかなり共通していて、それはまさに私自身のテーマともなるものであり、ご相談者に対しての言葉は一旦私の中を通って繋がるような不思議な感覚もありました。


その日はタロットカードの展開にもいろいろ印象的なものがあり、不思議とお話しているうちに展開したカードの中に大事なポイントが浮き上がってくるように感じたり…


そういう不思議が多い日ってあります。

私は不思議が大好きで、不思議にワクワクして、不思議に癒されて。

思議しない、自分から思わない、どこかからやってくる、みたいなのが不思議なんですよね。


そんな世界が日常にもたくさん存在していて、それを見つけるのは楽しい。

占いはまさに不思議の為す業ですね。

書く鑑定と対面と

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この記事はずいぶん前に書いて下書きに入れてあったものです。なぜすぐ投稿しなかったのか・・・最近ブログを更新できないでいたのはなぜなのか・・・

出生の水星が冥王星から何かしらの圧迫を迫られていたのかとか、最近はアセンダント土星がハードにヒットしてるし、とか勝手に星のせいにしていますが・・・何か発信しようとするとブレーキがかかってなぜか素直に発信できなかったりしてました 笑。

普通に発信できる内容だなと読んで思えたので今日アップします~

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タロット占いも、質問が文字で来て、文字で返す場合と、対面で目の前でやり取りするのでは、だいぶ雰囲気違うなぁと思います。

 

以前タロットを練習するためにネットで依頼を募った時は、質問を送って頂き、それに対して占ってみて、結果をメッセージで送っていました。

だいたいは質問→回答、の往復のみ。たまに少しだけ更に質問ってパターンもありましたが。

 

私はわりと読んだり書いたりが好きなせいか、文章で返していた時は、書いてる間にも結構ストーリーが広がってだいぶ長文になっていました。

文章で送れるメリットはやはり、展開したカードをじっくり見ながらストーリー綴っていけるところですね。

書いてる途中に、再度カードを見直して気づくこともあったり。

でも、この形式では、どうしても一方的な回答になってしまい、実際私が想定したストーリーが、本当に相応しいものか途中で確認することができないため、象徴から現実への結び付け方が違っていた場合、相手の方からは少し違うな、と思われてしまったかもしれません。

 

その点、対面では、出たカードについてお話する中で、お客様の思い当たる節みたいなことを聞きながら象徴と結びつけていけるのでだいぶ現実として捉えやすい形でお伝えすることができるかもしれません。

 

また、やはり"場"というのも何となく私にとっては大事なもので、だから対面で今ここに出てくるカード、というものの説得力は大きいなと思ってしまいます。

 

どうして答えを出せるのか、タロットの不思議に関してはたぶん永遠に謎だとは思うのですが、遠隔であっても情報をきちんともらえて、自分がそれを想定できれば、カードはちゃんと答えてくれます。

 

 

 

 

それは幸運とかではない。証だった。

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ちょうど一年前、このサボテンに花が咲いたことに驚愕していた私…

去年はサボテンを買ってからたぶん10年くらい経っていたから、それまで咲いたこと無かったものに花が咲くなんて、今は相当特別な時なんだろうな、と感慨深く思ってた。

それが今日また咲いてた!


それを見て。

去年はその花が咲いたことを稀なる何かのタイミングを示唆するもののように捉えていたのだけど、花が咲いたのは、単なるラッキーなタイミングとか、幸運の時、みたいな一瞬を物語るものではなくて、これからのストーリーを始める準備ができたというしるしみたいなものだったんだなと今日はそう感じた。


だいぶ年老いてきたサボテン。花を咲かせるまでにはこんなに時間が必要だった。だけど今その準備ができた。

だからこれからも、続けて花を咲かせて行けるんだとそういう、時の持続性を感じさせてくれた。


今日はもともと、人生の中でここまで来るにはこんなに時間がかかったんだなという思いを深くしていたから、サボテンの花のメッセージを強く受け取ったように思う。


やっぱりいろんなものは繋がっていて、メッセージは時々思わぬ場所から伝えられるものだなと思ったそんな日。


どうしてる?

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15年以上前に亡くなった妹に、私は時々話しかける。

今日は妹のお骨の眠る教会に行ってきた。

今日はキリスト教では復活祭の日、ではあったのだけれど、コロナ禍で、午後の教会には誰一人居なかった。

だから静かに話しかけてきた。


本当はその場所に行かなくてもいつでも話せると知ってはいるけど、でもいつでも話せると思うと逆に日常に紛れてしまうもので。

そういう意味でもその場所に行くのはやっぱり意味があるのかなと思ったり。


今日は昔の景色が甦ってきて、妹たちと遊ぶ私の姿。

7つも年下だった妹なんだから、本当はもっとお姉さんらしく守ってあげたりできたら良かったのに。

今更に。

当時を振り返ると、私はたぶん自分のことばっかり。包容力ある性質じゃなくて、人を助けたり人のために何かしたり、そんなこと全く出来なかったんだろうな。


今の私があの時の妹と会ったなら少しはお姉さんらしいことができたかな。


今思えば、同じ蠍座だった妹は、私を理解してくれたし、私も彼女を理解してた。

蠍的苦しみがいつも私にはよく分かってたはず。

でも何も出来なかった。


そういえば当時妹は占い好きだったみたい。私は全然興味なかったけど。

今だったらそんな話もできたかな。


またいつでも話そう。



どうしてる?

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15年以上前に亡くなった妹に、私は時々話しかける。

今日は妹のお骨の眠る教会に行ってきた。

今日はキリスト教では復活祭の日、ではあったのだけれど、コロナ禍で、午後の教会には誰一人居なかった。

だから静かに話しかけてきた。


本当はその場所に行かなくてもいつでも話せると知ってはいるけど、でもいつでも話せると思うと逆に日常に紛れてしまうもので。

そういう意味でもその場所に行くのはやっぱり意味があるのかなと思ったり。


今日は昔の景色が甦ってきて、妹たちと遊ぶ私の姿。

7つも年下だった妹なんだから、本当はもっとお姉さんらしく守ってあげたりできたら良かったのに。

今更に。

当時を振り返ると、私はたぶん自分のことばっかり。包容力ある性質じゃなくて、人を助けたり人のために何かしたり、そんなこと全く出来なかったんだろうな。


今の私があの時の妹と会ったなら少しはお姉さんらしいことができたかな。


今思えば、同じ蠍座だった妹は、私を理解してくれたし、私も彼女を理解してた。

蠍的苦しみがいつも私にはよく分かってたはず。

でも何も出来なかった。


そういえば当時妹は占い好きだったみたい。私は全然興味なかったけど。

今だったらそんな話もできたかな。


またいつでも話そう。



相性って何だろう

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昨今耳にすることも多い”婚活”というワード。

”結婚活動”、ですよね、フルで言うとなんか変な感じですが・・・

 

少し前までは、自分で自分に合う相手を探しに行く、みたいに自ら動くって感覚は少なかったのではないかと思います。職場の環境などで出会いの場が少ない方々にはだいぶ前から馴染みのやり方だったかとは思いますが。

 

自分から活動するからには、選ぶ、という行動がまずあります。

その時に注目されるのが、相性です。

 

最近よくAIがマッチングするサービスの話を聞きます。

利用するサービスによってAIに学習させる項目や要素は様々なのでしょうか。まあ、相当膨大な要素の聞き取りがあるんだと思います。

昔のお見合いだったらお見合い前に与えられた情報はとても限られていたでしょう。

相手の年齢、職業、学歴、家族、住所、などでしょうか。

そう考えると今のAIを駆使したマッチングは至れり尽くせりのようにも見えます。

 

でも、そもそも相性というもの自体が、一言では言い表せないものであり、ある意味生き物のようなものであることを私たちは知っておかなければいけないと思うのです。

 

これは私が占星術を学んでいることによって気づいたことなのですが、パートナーとの関係がうまくいくかどうか、相性は大きく3段階で見るといいと思います。

①まず最初にとっかかり、生物人間として本能的に惹かれるか、好感を持てるかの相性。

②次に、結婚など長く一緒に生活をする時に出てくる、素の自然な状態に違和感がないかの相性。

③そして最後は、自分自身。

 

①、②、までは言うまでもなく誰もがすでに気にかけていることかもしれません。

が、③はどうでしょうか。

私自身最終的に行き着いたのはこの③の部分なのです。

 

占星術では生まれた瞬間のホロスコープを作成して、その人自身がどんな性質を持っているか、どんなふうに生きていこうとするか、などを想像することができます。

そして相性を見る場合は二人のホロスコープを重ねて、相性を見ることもできます。

その場合も①的な相性と、②的な相性を見ることができます。

ですが、結局最後に行き着くのは自分自身の出生図、つまり自分自身の中の調和や矛盾というのが一番注目しなくてはいけない要素なんだなというのが分かります。

自分自身の中に葛藤が多い場合、それはやはり対人関係にそのまま投影されます。

つまり、まさに自分自身が、対人関係がうまくいくかいかないか、の原因、根拠であるということなのです。

 

極端に言えば、自分自身の問題が強く葛藤を抱えたままであれば、相手が誰であっても関係が難しくなるかもしれません。(またはうまくいかない相手ばかりを選んでしまうということにもなるかもしれません)

 

ここに気づくことはまず第一歩。

でもその先には希望があります。

人は成長する。

私が学んだ心理占星術では常にその成長という未来から光がさしています。

出生図がどんなに困難に見えても、本当に人は成長します。これは自分自身体感的に思うことです。(私自身が十分に成長しているということでは全くありませんが・・・)

自分の出生図は、生まれた時点から少しずつ成長を続けて今に至っています。そして今の星は、動きながらその成長の助けとして、時には厳しく、時には優しく、導いてくれます。

 

だからとにかく、人との関係性は、相性とはいえ、自分自身そのものであるということに気づくと少し違った視点が持てるようになるかもしれません。

 

タロットのこのカップの2、盃を交わし合う二人の関係は、ここから始まるのです。

二人で成長を続けていく、変わり続けていく、さまざまな出来事に出会いながら。盃の水を分け合える限りは二人は繋がっていける。

日々それぞれの世界を生きながら、時にそれぞれの思いを交換しあうことが大事。

片方だけが水を与え続けては片方だけ盃が乾いてしまいます。

自分の盃の水は自分で汲んでくることも大切なのでしょう。それが自分を内観し、成長することなかもしれません。

 

パートナー探し、相性の良し悪しについて考えようとするとき、まずは”自分”について知ってみるのはいかがでしょうか?

という提案です。