どうしてる?
15年以上前に亡くなった妹に、私は時々話しかける。
今日は妹のお骨の眠る教会に行ってきた。
今日はキリスト教では復活祭の日、ではあったのだけれど、コロナ禍で、午後の教会には誰一人居なかった。
だから静かに話しかけてきた。
本当はその場所に行かなくてもいつでも話せると知ってはいるけど、でもいつでも話せると思うと逆に日常に紛れてしまうもので。
そういう意味でもその場所に行くのはやっぱり意味があるのかなと思ったり。
今日は昔の景色が甦ってきて、妹たちと遊ぶ私の姿。
7つも年下だった妹なんだから、本当はもっとお姉さんらしく守ってあげたりできたら良かったのに。
今更に。
当時を振り返ると、私はたぶん自分のことばっかり。包容力ある性質じゃなくて、人を助けたり人のために何かしたり、そんなこと全く出来なかったんだろうな。
今の私があの時の妹と会ったなら少しはお姉さんらしいことができたかな。
今思えば、同じ蠍座だった妹は、私を理解してくれたし、私も彼女を理解してた。
蠍的苦しみがいつも私にはよく分かってたはず。
でも何も出来なかった。
そういえば当時妹は占い好きだったみたい。私は全然興味なかったけど。
今だったらそんな話もできたかな。
またいつでも話そう。