依存と自立
先日目にした投稿。
まず一行目の文章の威力に圧倒された。
「依存すると離れるから自立しなさい」
まさに今自分がその問題に向き合っている最中だったからこそかもしれないけど、今世の中はこのことに気づかないことによって起こる悲しい出来事で溢れているような気がする。
親子の依存、男女の依存。
自立と依存は一見反対のものに見えるけど、そうではないことに気づいてくる。
依存は適切な時間の長さや深さを超えると、お互いの深い場所にある原初の感情をぶつけ合うことになる。
近くにいれば、自分でやらずに相手にやってもらって楽をしようとする。
依存が深くなることは、相手を犠牲にしても自分が楽になろうとするのを躊躇しなくなること。
自分が何もしなくても誰かが自分のために動いてくれる。
快楽本能のあるがままの姿。
その世界は人の原初の感情のある暴力的世界。
体への暴力でなく、心に向けて撃ち込まれる拳。外に見えないから、誰からも咎められずに続く暴力。
暴力を振るい続ける方も振るわれ続ける方もとめどなく。
タロットでは、悪魔、まさにそれが依存。
それはバッサリ、メスを入れて変えていかなければなかなか変えられないもの。
辛さもあるけど、力強く引きちぎって、悪魔を逆さまにしてみよう。
その先には自立したひとり対ひとりの、高く、深い、透き通るように爽やかな世界があるはずだから。